2007.06.12 Tuesday
一時的なバブルなのか新秩序への移行なのか
一応、経済活動(の一部)を観察することを生業としている人間として、レベルソ好きさんのトキノタワゴトブログの「スイス時計産業バブルを考える」というエントリと広田さんのwebChronosの「雑感(ややシリアスに)」というエントリを受けて思うところを書いてみます。
これはとてもラフなアイディアに過ぎず試論とも呼べないようなもので、もっとまともに書けるようになればちゃんと書きたいとは思いますが、それでも今書くのは個人のブログだから好き勝手に書くぞ、ということで:)
これはとてもラフなアイディアに過ぎず試論とも呼べないようなもので、もっとまともに書けるようになればちゃんと書きたいとは思いますが、それでも今書くのは個人のブログだから好き勝手に書くぞ、ということで:)
今、新興国の経済成長とそれに伴う資源インフレが永続的であり、したがって世界的な社会構造の変化を受け入れざるを得ない、という話が普通に受け入れられつつあるように思います。経済そのものの話は措きますが、早い話が、世界経済における新興国のプレゼンスの上昇(G7の地位の相対的低下)、経済価値に占める一次産業の比率の上昇(加工産業・サービス産業の比率の相対的低下)ってことで、これは、乱暴な議論をすれば、オイルショックやその他諸々のことがあったとはいえ、それらが一時的であったことを思えば、過去20〜30年のスパンでみると最大規模の構造変化となりうる、という話です。
戦後60年間でとらえれば、極では冷戦・ブレトンウッズ体制からG7プラスというのは分散化とは呼べますが、顔ぶれは変わらず、また、その中での産業構造は一次から二次、三次へという展開であることに変わりはなかったと。ところがここへきて大きく変わりつつある、という見方ですね。
その中での時計産業の位置付けとは、と見ると、案外危機的とも呼べないのでは、と思います。
70年代の時計産業の衰退と90年代の機械式時計の復興については以前、某掲示板で歴史的社会的な意味での機械式の復興みたいな話もちょこちょこ書いたので、興味ある方はそちらも読んでいただきたいと思いつつ。
1970年代のスイスを筆頭とする時計産業の崩壊ってのは、もちろん高級化で消費者不在という問題も孕みつつ、ですが、世界経済の不況と技術進歩(クォーツ)の影響というのはやはり無視できないように思います。その点では、現在のスイス時計産業の高級化路線はもちろんリスクの高い選択肢ではあるという議論には同意するものの、内部要因的にも外部要因的にも1970年代になぞらえるような状況であるかどうかは注意深い議論が必要であろうかと思っています。
今回は、もちろん世界的な経済構造の変化が時計産業に直接的な変化を促しているわけではないので(戦争に用いられていた時代にはそういう傾向が強かったわけですけど)、外部要因の変化から内部要因の変化に至るにはマーケティングという側面が少なからず影響するでしょうし、それについての議論はここではカバーしていませんが、70年代との比較でいえば、
■世界的には持続的な経済拡大局面にある
■クォーツのような"技術上、対立するような"パラダイムシフトは起きていない
■その一方で、脱進機や素材や加工精度などで"技術上、対立しない"進化は見えてきている
■既に現在の機械式時計はクォーツ対機械式、あるいはファッションとしての機械式の復興という単純な図式は脱しており、次の定義付けを待っている
■世界経済的に構造変化を起こしており、奢侈品の需要の構造なり分布なりが変化してきている
というような捕らえ方が可能だと思います。このような前提に立つならば、今は消費者不在の高級化という話では必ずしもなく、機械式時計の新たな産業構造が生まれつつあり、そのinnovatorやearly adoptorに訴求している段階にあるという可能性について考えるのも無駄ではなかろうと思います。
であるならば、今の高級化は陥穽に落ちる話ではなく、innovatorやearly adoptorに受け入れられて、それが真に消費者に訴求するものなのであれば、chasmを渡った瞬間にmajorityに大きく普及することが十分に考えられる、と。
# chasmの議論については基本的にはハイテクに適用される議論ですが、消費者のマインドセットの変化にかかる時間、という需要の側面から捕らえれば結構普遍的に使える概念だとは思います。
では、そのearly adoptorへの訴求はどうなのか、chasmはすでに来ているのか、来ているとすれば渡りきるのはいつか、その時にmajorityにリーチするミドルレンジの時計とはいかなる時計か、少なくとも注意深く考え、観察するに値する問題ではないかと思う次第です。
上記の議論に沿うならば、おそらく、今のハイエンドでの流れがchasmを超えてミッドレンジに降りてくるのは、クォーツや従来の機械式では果たしえなかった直接的な経済価値かコノテーション(ステータスシンボル)をもたらす時ではないかとかって安直に考えちゃいますが、さらに安直に考えるならば、セラミック系の素材だの耐磁性だのの一連の努力によるメンテフリー化はわかりやすところでしょうし、こないだのセイコーの電子ペーパー時計に関する雑感もそのひとつかなと思わないではないですし、後は腕時計という形を止めちゃうとか、、、ってなんかほんとに安直な(笑
戦後60年間でとらえれば、極では冷戦・ブレトンウッズ体制からG7プラスというのは分散化とは呼べますが、顔ぶれは変わらず、また、その中での産業構造は一次から二次、三次へという展開であることに変わりはなかったと。ところがここへきて大きく変わりつつある、という見方ですね。
その中での時計産業の位置付けとは、と見ると、案外危機的とも呼べないのでは、と思います。
70年代の時計産業の衰退と90年代の機械式時計の復興については以前、某掲示板で歴史的社会的な意味での機械式の復興みたいな話もちょこちょこ書いたので、興味ある方はそちらも読んでいただきたいと思いつつ。
1970年代のスイスを筆頭とする時計産業の崩壊ってのは、もちろん高級化で消費者不在という問題も孕みつつ、ですが、世界経済の不況と技術進歩(クォーツ)の影響というのはやはり無視できないように思います。その点では、現在のスイス時計産業の高級化路線はもちろんリスクの高い選択肢ではあるという議論には同意するものの、内部要因的にも外部要因的にも1970年代になぞらえるような状況であるかどうかは注意深い議論が必要であろうかと思っています。
今回は、もちろん世界的な経済構造の変化が時計産業に直接的な変化を促しているわけではないので(戦争に用いられていた時代にはそういう傾向が強かったわけですけど)、外部要因の変化から内部要因の変化に至るにはマーケティングという側面が少なからず影響するでしょうし、それについての議論はここではカバーしていませんが、70年代との比較でいえば、
■世界的には持続的な経済拡大局面にある
■クォーツのような"技術上、対立するような"パラダイムシフトは起きていない
■その一方で、脱進機や素材や加工精度などで"技術上、対立しない"進化は見えてきている
■既に現在の機械式時計はクォーツ対機械式、あるいはファッションとしての機械式の復興という単純な図式は脱しており、次の定義付けを待っている
■世界経済的に構造変化を起こしており、奢侈品の需要の構造なり分布なりが変化してきている
というような捕らえ方が可能だと思います。このような前提に立つならば、今は消費者不在の高級化という話では必ずしもなく、機械式時計の新たな産業構造が生まれつつあり、そのinnovatorやearly adoptorに訴求している段階にあるという可能性について考えるのも無駄ではなかろうと思います。
であるならば、今の高級化は陥穽に落ちる話ではなく、innovatorやearly adoptorに受け入れられて、それが真に消費者に訴求するものなのであれば、chasmを渡った瞬間にmajorityに大きく普及することが十分に考えられる、と。
# chasmの議論については基本的にはハイテクに適用される議論ですが、消費者のマインドセットの変化にかかる時間、という需要の側面から捕らえれば結構普遍的に使える概念だとは思います。
では、そのearly adoptorへの訴求はどうなのか、chasmはすでに来ているのか、来ているとすれば渡りきるのはいつか、その時にmajorityにリーチするミドルレンジの時計とはいかなる時計か、少なくとも注意深く考え、観察するに値する問題ではないかと思う次第です。
上記の議論に沿うならば、おそらく、今のハイエンドでの流れがchasmを超えてミッドレンジに降りてくるのは、クォーツや従来の機械式では果たしえなかった直接的な経済価値かコノテーション(ステータスシンボル)をもたらす時ではないかとかって安直に考えちゃいますが、さらに安直に考えるならば、セラミック系の素材だの耐磁性だのの一連の努力によるメンテフリー化はわかりやすところでしょうし、こないだのセイコーの電子ペーパー時計に関する雑感もそのひとつかなと思わないではないですし、後は腕時計という形を止めちゃうとか、、、ってなんかほんとに安直な(笑